揚妻について

揚妻について

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先祖は近江商人の出。天明二年(1782年)、出羽の国・山形にて米・雑穀を商い、運送業も兼ねる。初代三十歳の頃。その後、専称寺さんの御佛供米の精米を許され、御殿堰の水車にて精米業も行う。六代目の頃、当地に移る。旅籠屋も兼ね、大正十一年に山形でははじめてのうなぎ・川魚料理専門の料理屋を開店する。

当地は、山形城主・最上義光公の二女、駒姫の菩堤寺である専称寺をはじめ、十四の寺院が立ち並ぶ「小京都」旧寺町。閑静な佇まいの中には、山形五堰のひとつである御殿堰が流れている。春から夏にかけて、鶯が訪れ、喧騒とはまったく無縁の昔と変わらぬ街で、郷土に伝わる味をどうぞご賞味ください。


揚妻の歴史

初代 金蔵
(1752宝暦~1820文政)
先祖は近江商人の出。雑穀商と水車業を営む。文政10年没。
二代 己之助
(1765明和~1840天保)
新百姓町(現十日町)に住み揚津間とも称した。
三代 金助
(1804文化~1870明治)
ため池を利用して鰻の取引を行う。専称寺に慶応元年(1865)建立の碑がある。同寺より現在地を譲り受ける。
四代 円次郎
(1829天保~1880明治)
笹谷越えの鰻取り引きを盛んにした。
五代 安治郎
(1846弘化~1920大正)
現在地へ移転。明治18年に精米業と鰻問屋を手広く営む。また旅篭と下宿を兼業し、志賀直哉の叔父、齋藤茂吉の次兄なども下宿していた。
六代 貞治郎
(1875明治~1950昭和)
山形で初めて川魚料理専門の店にする。当店の鰻料理の形をつくりあげた。
七代 禮治
(1905明治~1980昭和)
代々行われてきた氏神の祭礼を「祭釜」として始める。
八代 奉昭
(1945昭和~平成)
昭和50年代、新たに「御食事処あげつま」を開店。
平成元年に大幅増築し「知新庵」と命名する。
九代 礼悦
(平成~)
現当主。
平成16年に料亭を大幅リニューアルして、
現在のスタイルを確立させる。






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寺町の片隅より
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